初回は、IT業界っぽく、必須となるPCとの出会いや遍歴を書いてみます。
PCに入るかどうか微妙ですがMSX2が初です。
MSXと聞いて20代の人は聞いたこともないかもしれないですね。
歳がバレますね。
FDD(フロッピーディスクドライブ)すら外付けデバイスとして高価(数万円)な時代です。
その後は高校入学祝いに父親に買って貰ったX68000 XVI
キャッチフレーズは「父のパソコンを超えろ」です。
父のパソコンは間違いなくこの時代のトップシェアのNECのPC-9801です。
アイボリーホワイトのただの箱のPC-98と違いガンメタルなツインタワー「マンハッタンシェイプ」と呼ばれたX68000 XVIは今でも最高のデザインだと思っています。
これ以上にカッコイイPCは未だにないです。
CPUに他の機種はインテル社の8086系の中、当時のMacintoshと同じく珍しいモトローラ社のMC68000を使用しています。
グラフィックが非常に強力で当時としては色々と画期的な機種でした。
開発したのがシャープ社のテレビ部門と言うのが益々魅力を感じます。
14インチの液晶モニターが70万円以上して、100MBのHDD(ハードディスクドライブ)が5万円もした時代のお話です。
ソフトバンク社が出版を頑張っていて「Oh!X」と言う雑誌のプログラミング記事を読んでは打ち込んでいましたが、この頃からソフトウェアよりもハードウェアにワクワクしていました。
次は、ソニーがデザイン及び開発して話題になったMacintoshの初代のノートパソコンであるPowerBook100を買いました。
トラックボールがついていました。
OSは今のLinuxベースのMacOSではなく漢字talkと言われ日本語入力はFEP(フロントエンドプロセッサ)と呼ばれていました。
「ことえり」とネーミングされたFEPがデビューし、Macintoshにも実用的な日本語環境が整ったと騒がれたものです。
ハイパーカードと言うソフトウェア開発ツールも弄ってました。
そして、WIndows95。
日本のメーカーが各社独自に開発していたPCは全て駆逐されました。
NECのPC-98、シャープのX68000、富士通のFM-TOWNS。
Wintel(ウィンテル)と呼ばれた黄金時代の幕開けなのですが、イレギュラーな仕様のサイリックス社のCPUで自分の自作PCの道が始まりました。
そう、ソフトウェアなんてどうでもいいのです!!。
ハードウェアのスペックにこそ、血沸き肉躍ります。
次回からは自作PC遍歴を(笑)。