グリーンシステムのブログ

会社の雰囲気をお伝えします

就職戦線

就職戦線異状なし」と言う映画を高校生の時に友達数人と観に行った。

ぶっちゃけつまらなかった。

movies.yahoo.co.jp

 

当時からあまり邦画を観ることはなく「SCREEN」と言う洋画の雑誌を買っていたくらい洋画好きだった。
映画=洋画だった。

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関係ないが妻となってくれた人に好きな女優を聞かれて答えたのが「イングリット・バーグマン」だった(苦笑)。
勿論、オードリー・ヘップバーンもチャーミングで大好き。

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びっくりされたので「こじはると深キョン」とも言った。

 


さてさて、自分の就職戦線だがテキトー過ぎて申し訳ない程だ。


地方の国立大学"あるある"だと思うがOB・OG、教授が共同研究している会社等のツテの紹介で決まってしまうヤツである。
研究室のOBの方(後の上司)から教授に連絡があり、「どうする?」って電話を貰ったのが切っ掛け。


国家公務員や地方公務員の試験は落ちてしまったので二つ返事で入社させて貰った。
農業土木の研究室だったので、設計コンサルに入社して農道・水路・橋梁等の設計や積算がメイン業務でパソコンに詳しいからと調度始まった電子納品や電子入札の担当者や社内LANの担当者にされた(苦笑)。


EXCEL(VBA)で水利計算できるモノをいくつも作ったのは良い思い出。
当然のことながらCADも覚えたので、今も板金屋さんに趣味のモノを発注する図面を描く際に役立っている。

指名入札の為にISOの資格の取得している時期でもあり、分厚いマニュアルを抱えている上司たちを見て会社として資格を取得することの大変さを間近にみたものだ。

 

ちみなにこの時の上司とは未だに年賀状やお中元をやり取りしている。
とても面倒見の良い素晴らしい方だったが公共事業が縮小していたのもあり支店の閉鎖に伴いリストラされてしまった。
その支店では自分だけが本社勤務として残された。

 

と言う事もあり会社って怖いなって言うのと致命的だったのが向いていないなぁと思い始めたのと家庭の事情で地元に帰ることを家族会議で決めた。

 

当時はLinuxがブームで各ディストリビューターのパッケージ製品がヨドバシカメラ等の小売店に並んでいて、とあるメーカーのパッケージ製品を就職して直ぐに購入してLinuxを体験していた。


そしてそのメーカーのホームページ上で営業とエンジニアをポテンシャル採用で募集していたが、そもそも一日中社内でパソコンの前にいるのが嫌だったので営業で応募したら採用されたのがIT業界と営業人生の始まりである。

RedHatの日本法人が出来る前にローカライズしてスーパークローンと言い張って販売したメーカーと言えば分かる人には分かるだろう。

 

異業種転職ラッキーと思っていたが、設計をしていたのが面白かったからと採用理由を後に聞いた(笑)。
縁だよ、何事も縁。

 

てっきりパッケージ製品を売るのかと思っていたら自社ソリューションのフォレンジックサーバーの販売(代理店開拓)だった。
後に組み込みLinuxをメインとしたシステム開発の営業になった。
docomoがこれからはLinuxと叫んだ頃くらいだったような。

 

が、入社してすぐのミッションは自社製品の「L-Router(製品名丸出し!)」が入ったマンションでこいつの調子が悪いから見てこいと言われノートパソコンを持って行って現地でTera Termで繋いで状況を電話で伝えながら処置をしていた。
俺、営業だよなぁと思いながら。

 

フォレンジックサーバー(アプライアンスサーバー)もインストールからデモ環境の構築や取得したパケットの引っこ抜きとか、LTOに保存したりとか・・・。コマンドラインと必須のツールがWinSCP
俺、営業だよなぁと思いながら。

 

Linuxディストリビューターなんだから必要なものだけでmakeくらいできなきゃとか。
俺、営業だよなぁと思いながら。

 

トラブルの打ち合わせで客先で社長と待ち合わせたが現れず、前任者が売った製品(自社ソリューションではない)でサッパリ分からない中で10名強の相手に質問攻めにあって往なしていたら、遅刻した社長がやってきて独演会を始めてしまったりとかもあった。

 

某証券会社を某アンポンタンが間に入って前任者が売ったシステムのスポット保守でサーバールームに缶詰にされ終電がなくなり、某アンポンタンの担当者は僕は派遣なんで分かりませんと颯爽とタクシーで帰りやがった事もあった。
流石に頭にきて値引きするしないでその派遣の上司のプロパーのジジイと喧嘩してまで値引き拒否したのも良い思い出だ。

 

トラブルも時が経てば良い思い出だし、修羅場を経験すると肝も据わる。

愚痴で終わらせるか糧とするかは本人次第。

 

新人営業としては自分が売る時は手離れと信頼関係がとても大事と学んだ。

 

P店オーナーが屋外の大型LEDディスプレイ(長辺4~5mくらい)を欲しいって!!と言われいくつものメーカーを探して巡って調達して1台3,000万円を2台売れたのも良い思い出。
接待受けたのも初だったな。

けんもほろろだったメーカーの担当者が後々に飛び込み営業に来た時は流石に失笑した。

巡り回るのよ、何事も。

 

他にも色々とトラブルや新規開拓の苦労はあったけど、営業部の良い先輩達が導いてくれたのとエンジニアの皆が「なければ作ればいいや」とフットワークが軽くノリも良く技術力も高い人たちに恵まれたからこそ良い思い出になったと思っている。
やったことがない、分からないで終わりにするエンジニアがいなかったのは奇跡的。
未だに繋がりがあったりする。

 

そんな経験から自分で勉強するのは当たり前としても尊敬できる先輩や面倒を見てくれる人がいるかいないかが20代の成長には重要なのではないかと思う。
弊社もそんな環境を提供できればと模索している。

 

あと、ブラック企業に耐えられるメンタルは必要はないが、現実を直視して受け入れないと改善も出来ないので真っすぐに受け止められるメンタルの強さと意味のないプライドを捨てる事は大切
そして、協調性や思いやりは最も大切

 

聖徳太子様も仰っておられます『和を以て貴しとなす、忤(さか)うること無きを宗とせよ。』と。